メグミロク

英検1級保持者・日米交歓ディベート 日本代表が英語教育やディベートについてデータを用いながら解説するブログです。

ディベート基礎:ディベートの意義

こんにちは、メグミロクです。 

今回はディベートの意義について説明していきたいと思います。

 

ディベートの意義

皆さんはディベートの意義をどうお考えですか?

もちろんその答えは人の数だけあって良いと思います。ここではディベートを日本とアメリカで経験した筆者の「アマチュアな視点」からディベートの意義を3点書き記したいと思います。

 

1. ロジカルシンキング

ディベート(特に政策ディベート)では論理的な説明は必須条件です。巷でも論理的な思考力は大切だと言いますよね?じゃあ論理的とはどういう事なのでしょうか。

まずは ディベートの入門書であるFinding Your Voice: A Comprehensive Guide to Collegiate Policy Debate (Hahn, Allison and Hahn, Taylor Ward and Hobeika, Marie-Odile N. , 2013)で「論」とは何であるかを見ていきます。

 

ディベートで論題に賛成したり否定したりする「論」には必ず主張(claim)と論拠(warrants)がなくてはなりません。これが論理性を高めるのです。主張とはディベーターの証明したいことを述べる一文のことで、論拠はその詳細な理由と考えましょう。

例えば、「アメリカで銃は規制されるべき」という論題で

「銃は命を救う」という主張があったとします。これだけではなんのことかさっぱり分かりませんよね。ここに論拠を加えます。「なぜなら犯罪者がターゲットとなる人も銃を持っているかもしれないという予想をし、それにより抑止力が働くからです。」この論拠があることによって主張が先ほどよりは説得力を持ちました。しかし、まだ説得力があるとは言い切れません。なぜならそれを示すデータ/エビデンスがないからです。

 

では、もう少し細かい論理の説明を見ていきましょう。ここでご紹介するのはイギリスの哲学者であるトゥールミンによって提案されたモデルです。ここでは主張、論拠に加えデータ、反証、限定語が加わっています。この中でディベートで特に大切なのは主張、論拠、そしてデータです。下の図を見て見ましょう(立教大学 大学教育開発・支援センター、2012年6月発行、Master of Writing p. 9より引用)。

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表をみると、「タバコを吸うべきではない」という主張を「健康にとって有害なことは行うべきではない」という論拠が支えています。さらにデータ「疫学的な調査によれば、タバコは喫煙者の9割に疾患等の害をもたらしている」を組み入れることによって説得力のある論(Argument)が完成します。

先ほどの「銃規制の例」ではデータはありませんでした。しかし、例えば「銃を使った犯罪者は銃を持っている市民を攻撃しなかった」というようなデータがあれば先ほどの論拠と主張は論理的に繋がります。

 

このように

主張(Claim)ーーーーーーーーーーーデータ(Data)

               ↑

                           論拠(Warrent)

の3点を論を組み立てる時に考えなくてはならないのです。このトレーニングをディベートを通して行うことで、ロジカルシンキングが鍛えられるでしょう。

 

2. クリティカルシンキング

批判的思考能力と訳されます。相手の意見を鵜呑みにするのではなく、論理の弱点を探ります。先ほどの3つの点(主張・データ・論拠)の繋がりはしっかりしているのか、データや論拠自体におかしなところはないか、などを手始めに考えて見ましょう。

では例をあげて考えて見ましょう。

例1)

主張:幽霊はいる

データ:家の中で何かが動いた

論拠:何かが動く時には、誰かが念力で動かしているか幽霊がいるかでしかない。家に1人しかいなく私は念力は使っていないので幽霊が物を動かした

(T・シック・ジュニア、Lヴォーン(2004、p.144)『クリティカルシンキング 不思議現象篇』菊池聡、新田玲子訳、を参考に筆者作成) 

この例では、論拠がおかしいということが分かります。何かが動く時には他の要素(例えば風が吹いた)も考えられますね。この程度の主張であれば論理の穴を見つけることは簡単です。では、先ほどの銃規制の例ではどうでしょうか。

 

例2)

主張:銃は命を救う

データ:銃を使った犯罪者は銃を持っている市民を攻撃しなかった

論拠:犯罪者がターゲットとなる人も銃を持っているかもしれないという予想をし、それにより抑止力が働く

※「データ」は筆者が作り上げたものです

 

色々な論理の穴を指摘することができると思います。1つはデータの中の犯罪者の「総数」です。これが100人の犯罪者からの傾向であるのか、1人だけなのかでもデータの信憑性は大きく変化します。また、銃を持っていない市民は攻撃したということになるので、そもそも銃は命を救うという主張と矛盾があるとも指摘できるかもしれません。

以下は、アメリカに日本代表として参加した筆者がその経験を書いた文章です。

私たちは日常の生活で自分の意見を疑ったり内省したりする機会は少ないように思います。しかしデ ィベートを通して、自分の思考を客観視することや相手の主張を正しく理解することを実践できるようになりました。このディベートツアーが私の行動指針になっていると思うことが 多々あります。Kritik について学び、様々な社会問題について多様な価値観のもとでディベートをした ことで、あたりまえとされているものを疑う態度が養われました。森羅万象全てのものを疑うと「こいつは面倒くさい」と思われ友達もいなくなり問題ですが、批判的な思考を持つことはハンナ・アーレントの提唱する「陳腐な悪」に陥らないためにも大切であると強く感じます。 

 Kritikについては別のブログで書くとして、ここで伝えたいことは、当たり前を疑い考え続けることの大切さです。批判的に相手の論を捉え、それについて反駁していくトレーニングできるのもディベートの意義の1つです。

 

3. 市民性教育

昨今、民主主義の中での市民性教育が注目を集めています。シティズンシップ教育を小玉 (2017、 p.185)はこう定義しています。

シティズンシップ(市民性)とは、民主主義社会の構成員として自律した判断を行い、政治や社会の公的な意思決定に能動的に参加する資質をさす概念である 

佐藤学、秋田喜代美、清水宏吉、小玉重夫、北村友人 編(2017)『学びとカリキュラム(岩波講座 教育 変革への展望 第5巻)』 、岩波書店

 私たち一人ひとりが地球市民として、社会の構成員として公的な意思決定に能動的に参加するには何が必要なのでしょうか。私は、法律の専門家でもなければ、政治家でもありません。このブログを読んでくださっている皆さんも違うかたが多いでしょう。プロじゃない私たちがどのように参加すればいいのでしょうか。

 

1つの答えが「政治的リテラシー」を育成することであると言われています。小玉 (2017、p.199)はクリックの議論を援用しこのように述べています。

クリックは、シティズンシップの中心的な要素に政治的リテラシー があることを強調し、政治的リテラシーとは争点を知ることであると述べている。つまり、シティズンシップ教育においては、「論争的問題」を教育することで「争点」を理解し、政治的リテラシーを高めることが重視されている (Crick 1962, 200, 2002)。

 

クリックに影響を与えた「陳腐な悪」で有名なハンナアーレントは考えることについて

自分の中のもう一人の自分と対話をすること、すなわち「一者のなかの二者(The two-in-one)」を自分自身の内に構築することであると述べている(Arendt 1971:179-193=1994:208-224)。

唐木清志、岡田泰考、杉浦真理、川中大輔、2015、『シティズンシップ教育で創る学校の未来』、東洋館出版社 

Arendt, H. The Life of the Mind, A Harvert/HBJ Book, 1971 (=1994 佐藤和夫訳『精神の生活・上』岩波書店)

 

争点を知るというのは肯定側と否定側に分かれて1つの論題について話し合うまさにディベートそのものですよね。私はその争点を知り、自分の中で批判的に考えてくことが民主主義社会で生きるために必要なんだと強く感じます。

少しディベートの意義からはそれますが、学者のジャック・ランシエールは、人聞が主体的な市民性を得ていく条件として、以下のように、「自明視されている場所からの離脱」という点を挙げています (小玉、2017、p.207)。

あらゆる主体化は、脱自己同一化(アイデンティティの相対化)であり、あたりまえのものとして自明視されている場所からの離脱であり、それによって、誰もが認められるような空間が開示されることである。 (Rancière, J., 松葉, 祥, 大森, 秀, & 藤江, 成. (2005). 不和あるいは了解なき了解 : 政治の哲学は可能か / ジャック・ランシエール [著] ; 松葉祥一, 大森秀臣, 藤江成夫訳 [La mésentente : politique et philosophie]. 東京: インスクリプト.)

つまり自分が今まで当たり前だと思っていたこと、自己のアイデンティティから距離を置き他の論を聴くことによって主体的な市民性を得ていくことができるということだと私は解釈しました。

長くなりましたが、この市民性の育成にもディベートは大きな役割を果たすことがお分りいただけたでしょうか。

 

まとめ

ディベートの3つの意義を確認しました。もちろんこれ以外にも多くの意義やディベートの価値があると思います。少し難しい議論もあったかと思いますが、ディベートの入門として何か学ぶものがあれば嬉しいです。次回は肯定側と否定側の論構成について書いていきたいと思います。

 

疑問、反論などコメントで受け付けてます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。