メグミロク

英検1級保持者・日米交歓ディベート 日本代表が英語教育やディベートについてデータを用いながら解説するブログです。

障がいって何だろう? 医学モデルと社会モデル

みなさん。お久しぶりです。

今年は最低1ヶ月に1回は更新していきます。 

今回のテーマは「障がい」についてです。

 

  

前提

本題に入る前に2つの前提を共有します。

1. 「障がい」の表記について

本ブログでは「障害」や「障碍」を「障がい」と書くこととします。ただし法律については正式名称での表記とします。

※表記については下記のリンクを参照

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_26/pdf/s2.pdf

「障害」のひらがな表記の試行的な取り組みについて | 保健福祉部福祉局障がい者保健福祉課

 

 2. ブログの趣旨

ここに書くことは私個人の意見であり誰も傷つける意図はありません。

中立な視点で書くようにしますが

疑問に思う点や嫌だった点があれば気軽にコメントしてください。

さてさて、では本題に入っていきましょう!

1. 障がいとは?

障がいとはどのように定義されているのでしょうか。政府の定義から見ていきます。障害者基本法は1970年に制定されました。この時は障がい者は以下のように定義されています。

身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者

障害者基本法の一部を改正する法律案新旧対照表 - 内閣府

 

まあそれはそうですよね、といった反応でしょうか。 

実はこの法律は2011年に改定されています。その内容を見て見ましょう。

 

一 障害者 身体障害、知的障害、精神障害発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。


二 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

障害者基本法の一部を改正する法律案新旧対照表 - 内閣府

 

ここでは第一項に「社会的障壁により」という言葉があったり第二項に「社会的障壁」の定義が載っていたりします。1970年にはなかったような概念ですね。2011年の定義をしっかりと理解するのに大切な概念があります。医学モデルと社会モデルです。

 

2. 医学モデルと社会モデル

Shakespeare(2013, p. 216)は医学モデルと社会モデルを次のように定義づけています。

The social model is distinguished from the medical or individual model. Whereas the former defines disability as a social creation—a relationship between people with impairment and a disabling society—the latter defines disability in terms of individual deficit.

http://Shakespeare, T. (2013). The social model of disability. The disability studies reader, 2,214–221.

筆者訳:社会モデルは医学モデルや個人モデルと区別される。前者は障害(i.e. ディサビリティ)を社会の創造-障害(i.e. インペアメンツ)を持つ人と無力な社会との関係ーと定義するのに対し、後者は障害(i.e. ディサビリティ)を個人の欠損とする。

 

少し難しいので簡単に説明します。

医学モデル(個人モデル)は従来のような障がいを個人の問題とする考え方です。「車椅子の人は足が悪いから障がい者である」というような考え方はこの医学モデルに当てはまります。いわゆる多くの人が抱く障がい者のイメージはこの医学モデルなのではないでしょうか。

一方で社会モデルは、障がいは社会にあると考える物の見方です。例えば「車椅子の人はエレベーターという社会設備が障壁によって障がいを負っている」といったことです。2011年の障害者基本法に記載されている「社会的障壁」はこの社会モデルに立脚した考え方であると私は考えます。

 

まだよく分からないという人のために簡単な例を出したいと思います。

皆さんの周りにメガネをかけている人はいますか?その人たちは障がい者でしょうか。

もしメガネという物がなければその人は目に障がいがあると考えられてしまうかもしれません。でも、メガネがあるから私たちはそれを「障がい」とは一般的に考えません。つまり社会の設備が充実すれば私たちの想像する「障がい」は障がいでなくなるのです。

 

社会モデルの先駆けとなったのは「隔離に反対する身体障害者連盟」です。1975年に出された基本原則を見て見ましょう。

 

In our view, it is society which disables physically impaired people. Disability is something imposed on top of our impairments, by the way we are unnecessarily isolated and excluded from full participation in society. Disabled people are therefore an oppressed group in society.

Union of the Physically Impaired Against Segregation (1975). Fundamental Principles, available at https://disability-studies.leeds.ac.uk/wp-content/uploads/sites/40/library/UPIAS-fundamental-principles.pdf; accessed February 20, 2020. 

筆者訳:「我々の見解では、身体障害者を障害としているのは社会である。ディサビリティとは、インペアメンツに加えて完全な社会参画から不必要に孤立、除外されることによって課されたものである。障害者はすなわち社会で抑圧された集団である。」

 

ディサビリティとインペアメンツについては後述するとして、ここで注目したいのは障がい社会によって引き起こされていると考えることです。社会に障がいがあるという考え方は「障がい」を他人事ではなく自分事に捉えることに寄与すると私は考えます。つまり障がいは「自分とは関係のない誰かが保有しているもの」ではなく全員が考えていかなければならない「社会問題」なのです。

 

少し逸れてしまいますが、UNESCOのEducation 2030でも学習環境の整備の大切さを訴えています。

”need for adequate physical infrastructure and safe, inclusive environments that nurture learning for all, regardless of background or disability status. A quality learning environment is essential to support all learners, teachers and other education personnel. Every learning environment should be accessible to all and have adequate resources and infrastructure to ensure reasonable class sizes and provide sanitation facilities." p. 51(UNESCO (2016) Education 2030: Incheon Declaration and Framework for Action for the implementation of Sustainable Development Goal 4: Ensure inclusive and equitable quality education and promote lifelong learning opportunities for all)

 

 

3. ディサビリティとインペアメンツ

医療モデルと社会モデルを正確に記述するためにはディサビリティとインペアメンツの違いを知らなければなりません。どちらも「障がい」という意味なのですがニュアンスが異なります。Shakespeare(2013, p. 216)の定義を見て見ましょう。

 

Impairment is distinguished from disability. The former is individual and private, the latter is structural and public. While doctors and professions allied to medicine seek to remedy impairment, the real priority is to accept impairment and to remove disability. Here there is an analogy with feminism, and the distinction between biological sex (male and female) and social gender (masculine and feminine) (Oakley, 1972). Like gender, disability is a culturally and historically specific phenomenon, not a universal and unchanging essence.

筆者訳:インペアメントとはディサビリティと区別される。前者は個人で私的な者であり後者は構造的、公的である。医者や医療従事者はインペアメントを治療するのに対し真に優先されるべきことはインペアメントを受け止めディサビリティを取り除くことである。ここにフェミニズムとの類推がある。生物的な性(sex)と社会的な性(gender)のことである。ジェンダーのようにディサビリティは文化的歴史的特定の現象であり普遍、不変的な本質ではない。

 

つまり、インペアメンツは医療モデルを語るときに使われる個人のレベルでの障がいでありディサビリティは社会が抱える障がいであると読み取ることができます。

 

4. 近年の障がい観

 近年障がいについてもう一度よく考え、障がい者への差別を無くそうという機運が高まっています。少し古いデータですが内閣府(2009)による「『障害を理由とする差別等に関する意識調査』の公表について」では障がい者への差別について「あると思う、または「少しはある」と思うと答えた人は80パーセントにものぼりました。また「現在、国や地方公共団体では、「『共生社会』の考え方に基づいて、障害のある人もない人も共に生活できるための環境づくりを進めていますが、これについてあなたはどう思いますか。」では、「賛同する」、「どちらかといえば賛同する」と答えた人が同じく80パーセント以上いました。

 

一方で、岩隈(1998)が指摘するように、メディアは、障がい者をかわいそうだとか、いたわらなければいけない存在と受動的な定義をしてしまっていて、メディアが作り出した「古典的障がい者観」を知らないうちに持ってしまっていることも否定できません。また岩隈(2007)は「一番問題なのは、自分が先入観(ステレオタイプ)を持っているということ自体を自覚しないため、いつまでたっても古い先入観にしがみつき、新しい情報に出会ってもステレオタイプの書き換えを怠ることである」と述べています。

 

障がいについても今まで持っていた固定観念を捨て社会モデルで考えると「社会問題」として障がいを考えることができるのではないでしょうか。

当事者意識を持ち障がいを考えてみてはいかがでしょうか。

 

まとめ

 本ブログでは、障がいの定義、医療モデル・社会モデル、インペアメントとディサビリティ、そして近年の障がい観について書いてきました。これを読むことで障がいについて少しでも考えることがあれば嬉しいです。

最後に皆さんに伺います。障がいって何だろう。

 

 

参考文献 (引用部に掲載しているもの以外)

内閣府「障害を理由とする差別等に関する意識調査」

www8.cao.go.jp/shougai/suishin/tyosa/h21ishiki/pdf/kekka.pdf

②岩隈美穂. (1998). 異文化コミュニケ-ション, マスコミュニケ-ション, そして障がい者 (特集= 身体障害者). 現代思想, 26(2), 192-203.

③岩隈(2007)「多文化社会と異文化コミュニケーション」三修社